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田中角栄語録から:戦争体験の無い政治家たちの危うさ

2018年01月31日 12時53分25秒 | 政治
田中角栄語録から:戦争体験の無い政治家たちの危うさ
 最近、田中角栄元総理のこの言葉がマスコミにたくさん登場します。当ブログも驥尾に付して取り上げることにしました。
「戦争を知っているやつが世の中の中心である限り、日本は安全だ。戦争を知らないやつが出てきて、日本の中核になったとき、怖いなあ。」
 
 田中角栄は毀誉褒貶の多い人です。列島改造論で公共投資を軸にした日本経済の高成長を実現したり、日中国交正常化を実現したり、多くの実績を残しましたが、カネの大事さを知っていたからこそ、カネへの執着心が強かったのでしょうか、ロッキード事件で失脚しました。

 私も、田中角栄が、そんな言葉を残しているという事は知りませんでした。剛腕で国民のため、県民(新潟)のために大きな仕事をし、その実行のために、独自のカネの作り方を編み出していたといった風評を聞きながら、あれだけ仕事をしながらおカネで躓いたのは自業自得かなどと思っていましたが、戦争に対してこんな考えを持っていたことを知って、何となく「やっぱり」といったといった感じを持ちました。

 田中角栄は、もともと建築が好きで、その業界で仕事を始めていますが、われわれの上の世代ですから、戦争の中でどんどん貧しくなる日本という経験は体に染みついていたのではないでしょうか。この点は、私共に共通する強烈な経験です。

 子供の時は皮靴を履いていた、それが、日中事変から太平洋戦争になり運動靴やゴム靴になり下駄になり、ついには草履や裸足になったいったあの経験、それまで積み上げられて来たものが日常生活から生活の場、社会環境、そして最後には人間まで、どんどん破壊され、残ったのは廃墟と貧困という悲惨な経験です。

 田中角栄の原体験にこうしたものがあるとすれば、それ故に「何よりも建設重視」という本能的な感覚があったのではないかと感じるところです。
 人間の拠るべきことは「建設」であって「破壊は最悪」という信念が貫かれたとしても、けだし当然なのではないでしょうか。

 こうして、総理大臣として日本国土の建設を最重要の目標とした、田中角栄にとって、それを破壊する戦争は最も忌むべきものだったことは当然でしょう。
 「建設」という行動に対して、最大の敵は戦争、戦争は「破壊」そのものです。

 勝手な解釈かもしれませんが、「戦争を知らない世代が日本の中核になったら危険だ」という冒頭の言葉には、多分こうした背景があるのではないでしょうか。
 考えてみれば、金日成は戦争を知っていました、しかし金正恩は知りません。トランプさんも戦争による破壊とは無縁でしょう。
 安倍総理のお爺さん、お父さんは戦争についてどう安倍総理にどう教えたか知りませんが、安倍総理は戦争による破壊は経験していません。

 いま世界、日本はこうしたリーダーたちに振り回されています。田中角栄も草葉の陰で「危険だな」と思っているのではないでしょうか。
 冒頭の言葉に続いて田中角栄は「しかし、勉強して貰えばいいやな」と言っているとのことです。
勉強してもらいたいと思っている人は多でしょうが、さてどのようにして・・・。

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